絵空事の切れ端

                        好きなものは好きって言おう

人の背中に嘔吐してしまった話

 

 4月のとある土曜、友人夫婦の家で飲み会があった。お呼ばれされた私は「昼から酒が飲めるぜ~」と意気揚々と向かった。集まっているのは付き合いも長いいつもの気やすい顔ぶれ。各位酒と土産を持ち寄りテーブルを囲んでは食って飲んでバカな話をする楽しい時間だった。

 

 振る舞われたカレーをおかわりして腹が膨れた後、お酒から引き起こされた眠気と同時に襲ってきたのはとんでもない吐き気だった。そんなに飲んだつもりはなかったけれど一瞬で「あ、これアカンやつや」と悟った。一刻も早くトイレに行かなくてはと思う一方で、完全にコタツが体にフィットしていたことも手伝い眠気が勝って体を動かせなかった。

 吐き気がどこか遠い国の出来事のように感じ始めたころ、今度は別の懸念が酔った頭を過ぎる。それは「人ン家のカーペットに吐きたくない」というよくわからない使命感だった。ここで床にぶちまければ洗濯は必至。しかも出てくるのはカレーだ。ヘタしたら捨てることになるかもしれない。そんな迷惑はかけたくないし、何より楽しい時間に水を差すことになる。絶対に回避したい事態だった。

 吐きたくない吐きたくない吐きたくないと酔った頭で思考がループしていたが、もはや手遅れだった。もう無理と思った瞬間、体は勝手に動いていた。

 

 たまたま左隣にいた友人の襟首を掴み、咄嗟にその背中に向かって吐いていた。

 

 改めて字に起こすと自分の過ちの大きさが実感できるが、完全にノンフィクションである。被害にあった友人は当たり前だがめちゃくちゃ驚いていた。周囲もめちゃくちゃ驚いていた。そりゃそうだ。誰だってそんな場面を目の当たりにしたら驚くに決まっている。ただ、どよめきのあとに巻き起こったのはなぜか大爆笑だった。家主の厚意で風呂に向かわされる中も笑いが収まっていなかった。最初は「笑ってる場合か!?」と思ったが、後々考えると笑い飛ばしてくれた方がこちらもいくらか気が楽だということに気づいた。

 自己嫌悪に陥りながらシャワーを借りて、どんな悪罵を浴びようとも返す言葉もない醜態をさらした私は、ある程度覚悟を決め平身低頭でリビングに戻った。しかしエチケット袋代わりにしてしまった友人はあっけらかんとこの暴挙を許してくれたのであった。聖人かと思った。帰り際に家主からも「次はバケツ用意しとくよ」という明るい言葉をもらった。いい人過ぎかよと涙が出そうだった。どっちも普通は許されることではないので優しい言葉が余計に胸に刺さった。

 

 この一件でもっともショックだったのは、かの暴挙を完全な無意識下で行ったという事実だった。自分の中にそんな無差別な攻撃性があったことが信じられなかった。いくらカーペットに吐きたくないからって「じゃあ誰かの背中を借りよう」だなんて微塵も思わなかったし、明確な意思を持ってやったとしたらキ◯ガイにもほどがある。自分で言うのもなんだが、人畜無害な人間という自負もあった。

 けれどそんなキ◯ガイじみたことをやってしまった事実は変わらない。お酒で記憶をなくしたことは今までにも何回かあるが、ここまで深酒を恐ろしいと感じたことはなかった。何人かにこの話をしたら「それただのキ◯ガイじゃん」とか「よく許してもらえたね」とか「おれだったら縁切るわ」など至極ごもっともな意見をもらった。

 酩酊状態って本当に何をしでかすかわからない。「親しい誰かにまた酷いことするんじゃないか?」と自分の奥底に潜んでいる攻撃性が怖くて、この事件以降誰かとお酒を飲む際は量を控えめにすることにしている。

 

 なぜ今更この一件をブログにしたためようと思ったのかと言えば、今週末にまた同じ場所で同じ催しがあるからである。過ちを繰り返さないよう、自戒と反省を込めてまとめてみた。

 そして身に余るほどの優しさを受けた側として、もしも誰かが吐きそうになった場に居合わせたら両手で受け止めるくらいの気概は持とうと思った。